イベントレポート

バス&ウォークで共楽館界隈から本山へ

~あかがねの道をたどり鉱山や本山に生活の跡をたどる~

 

 2019.11.17 (日) 

2019年度「講座・共楽館ふるさと塾」全5回の最後をしめくくるのは、貸し切りバスと徒歩で共楽館~本山を巡るプチ修学旅行です。工業都市・日立の原点でありながら滅多に訪れる機会のない本山地区、その繁栄の跡を元住人の方々の案内でたどりました。

 

09:00 共楽館 出発

秋晴れの中スタッフ含め参加者約30名、大雄院→本山を目指し共楽館から貸し切りバスに乗り込みます。

なんと本日の担当ドライバーさんも偶然本山のご出身と判明し、テンション↑での旅のスタートとなりました。


 

09:15 大雄院〈JX金属・大煙突 展望駐車場

まずはJX金属さん正門前の駐車場に到着。

ここには期間限定で来訪者用の駐車場展望スペースが設けられていたため、大煙突を間近でゆっくり見物することができました。

この駐車場の場所には以前、鉱山電車の操車場がありました。(1960年廃線)

JXの正門前あたりに客車の始終着駅である大雄院停留所があったのですが、実は軌道自体は更に構内に延びていました。大煙突の麓の精錬所を通り、カラミの上を崖沿いに走って現在の清掃センター方面に折り返していたようです。

手前の線路が並ぶ操車場一帯が現在の駐車場。そしてオレンジ部分は現在県道36号(産業道路)の走っている場所。

 

※参考写真(撮影:1960年)

 


 

09:30 大雄院 → 本山

移動中の車内では、案内人の方から沿道の地名にまつわる話などを伺いました。

大雄院~本山間に見られる道路沿いの切り立った岩壁は、自然形成ではなく削岩して造成されたとのこと。山中での作業は削岩のプロとはいえ困難を極めたのではと、あれこれ思いを巡らせます。


 

09:40 日鉱記念館 着

採掘の拠点だった場所に建てられている日鉱記念館。県道沿いの入場門から続く広い駐車場には、かつて選鉱場などの巨大施設や鉱山の設備が立ち並んでいました。

JX金属さんのゆるキャラ、銅の妖精カッパー君がお出迎え


まずは会議室をお借りして、本日の案内人である日立鉱山OBの方から、本山における操業内容などの話を伺いました。

坑道の構造や規模をボードに描きながら説明していただいたのですが、地下の様子がイメージし易く、さすが現場を知りつくしたプロのお話と参加者の方々も大満足。

つづいて本山の商店で生まれ育った案内人の方には、鉱山町での暮らしのエピソードや思い出を語っていただきました。

最盛期の人口は1万人を超えており、狭いエリアに時計屋が3件あっても商売が成り立っていたというお話に、当時の賑わいの様子を垣間見ることができました。



塵外堂周辺の紅葉。

記念館の敷地内は年間通して常に整備されており、気持ちのいい空間が広がっています。


 10:45 山神社 着

塵外堂の裏山には、鉱山の守り神として佐竹氏の時代から祀られてきた山神社があります。日立鉱山~JX金属になった現在も安全祈願の神として大事にされているそうです。

 

123段の急な石段の上に社があるため、希望者のみが参拝する予定でしたが、陽気の良さと勢いもあって全員が登りきり無事社殿に辿り着きりました。 


社の裏に回ってみると、入四間に抜ける旧道を柵越しに眺めることができました。

1989(平成元)年に現在の本山トンネルが整備されるまでは、このつづら折りの細い山道を通って入四間・中里方面と行き来していたんですよね。


石段上方から参拝者を見つめる狛犬。

 


 

09:40 本山ウォーク

日鉱記念館を後にして、現在の県道36号(産業道路)である「本部通り」を徒歩で下りながら、鉱山町の暮らしの痕跡を探していきます。

 道路左側の擁壁の上には、本山中学校がありました。高台から鉱山の様子を毎日眺めていた子供たちは、意識せずとも鉱山と共に生きてることを感じながら育ったのではないでしょうか。


更に下ると右側に本山小学校跡が。残されている建屋は体育館で、校舎は宿泊施設(あかさわ山荘)として再利用された後、2011年に解体されました。

最盛期は2300人超の児童が通っていたそうですが、校庭がさほど広くない印象を受けるのは、山間部で平地の確保に難儀したためかと推測してみたり 


小学校→一本杉の間に続くブロック積の段々はアパート群の跡です。この通り沿いには4階建・5階建ての社宅アパートや、商店・住宅等が所狭しと並んでいたそうです。


一本杉の周辺は、本山地区の中でも最もにぎわっていた商店街でした。そう聞いても、緑に覆われた現在の姿しか知らない者としては、ただ驚くばかりです。


賑わった頃の商店だった建物が現在も数件残されています。この裏手にある長い石段を登った先に、鉱山の福利厚生施設として共楽館より先に誕生した「本山劇場」がありました。


こんな遺構が間近で見られるのも、徒歩での散策ならでは。


掛橋の幼稚園跡。閉山後は、鉱山全体の残務処理の拠点として利用されていたそうです。

 


掛橋地区の端にあるこの赤澤不動尊。古くからここにあった不動明王の祠を、久原房之助が整備して祀ったと言われています。

 

山神社が会社の管理下にあったのに対し、こちらは主に鉱夫達の信仰の対象だったようで、集会などの場としても使われていたそうです。

鉱山での作業は常に危険と隣り合わせですから、鉱夫やその家族にとって信仰は生活の中で大切な役割を果たしていたのであろうと想像してみます。


不動尊の傍らを流れる不動滝は落差7m、はるか昔には修験者の修業の場にもなっていたそう。コンパクトながらなかなかの美しさ。宮田川にこんな一部があることを知らない市民も多いのでは。

右の写真は、滝を見下ろす位置にある不動明王を祀る祠です。 


滝を後にして共楽館のある新町地区に帰還。

集落の端にある神峰神社大祭礼の石碑の前で、7年に一度開催される祭事の様子や、住民が共に地蔵堂を守り信仰を通して地域が繋がってきた旨の話を伺いました。

 最後に共楽館の2階観覧席をお借りし、全員で昼食をとってプチ修学旅行は解散となりました。

茨城交通さんお世話になりました。